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新地町 

福島県相馬郡新地町。

東日本大震災と津波の被害をまともに受けた場所。

震災後、なかなか行けずに8月になってしまった。

新地町、仕事でお世話になった方が旅館を営んでいた所。

津波で旅館は鉄骨を残し、なくなってしまった。

現在、住んでいる仮設住宅を念願の訪問。





仙台駅
名古屋から9時間半かけて深夜バスで仙台へ。





常磐線電
常磐線に乗り換え。





亘理駅
常磐線は亘理駅までしか開通しておらず、
その先の開通はまだまだ先。





常磐線電 上から
上から見た小川公園の仮設住宅。





常磐線電
仮設住宅の間はこんな感じ。





仮設住宅 玄関
玄関はこんな様子。





小高い場所の船
近くの小高い場所に、まだ船が残る。





平地の船
無造作に田んぼのような所に残る船。
写真はないが、海の中にも船やバスがそのまま
残っていたところもあった。
多くの場所は瓦礫が取り除かれていて、
そこは雑草に覆われている。





堤防跡
旅館近くの防波堤。無惨な姿。





朝日館 跡
ここがかつて旅館のあった場所。
瓦礫や残った鉄骨も撤去されていた。





かつての朝日館
昨年、泊まりにいった時に撮影した旅館「朝日館」。
上の写真とほぼ同じ位置からの写真です。





朝日館近くの信号
朝日館近くの信号交差点。





かつての朝日館近くの信号
この写真も去年のもの。
方向は違うが、同じ信号の写真。
もう別の場所としか思えない。





自衛隊の旗
2つ上の写真の信号脇に小さく見える旗。
自衛隊の方々が寄せ書きしたもの。
その上の方には「負くんな新地」と記されている。
復興に大きな力を貸してくれた自衛隊の方たちが
残してくれた祈りと願いの旗。






もうなにもかも無くなっていました。
(もう瓦礫もある程度撤去されてました)

去年来た時に見た、家も、木も、道路も、人も。

かつて来た所とは全く違った場所が

そこにはありました。



来てみないと、話を聞いてみないとわからないこと

ばかりでした。

でも、来てみて改めてわかったのは、当事者でなければ

理解できないことが、ものすごく沢山あるということ。


想像するしかない。

思うしかない。

話を聞くしかない。



復興にはまだまだ時間がかかると思うが、

それぞれが、自分の出来ることを

やっていくしかない。

自分の場所でそれぞれが。






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コメント

>来てみて改めてわかったのは、当事者でなければ
わからないことがものすごく沢山あるということ。

私も、先月福島の友人に会い、そして、今日、このNAGOTAKEさんのブログを読んで、改めて感じています。

それにしても、5ヶ月が経ってこの状況・・
地震も続いてるし、放射能も目処が絶たず。
復興は、みんなのいつもの生活が戻るのは、まだまだ遠いのですね・・。

それでも、やっぱり、
それぞれが、自分の出来ることをやっていくしかないんですよね。
自分の場所で。

yyoshies さん、こんばんは

yyoshies さんのブログにもあったように、
震災や津波にあった人たちは
話すると、へこたれてないんですよね。
(少なくとも私の知ってる人は)
ひょっとすると、弱音をはくと逆につらいのかも
しれないからなのか、とか思ったりします。

今日の朝、深夜バスで名古屋に帰ってきた
ばかりで、まだ記憶も生々しいのですが、
適当な言葉がみつかりません。

みんなが少しづつでもやっていくしかない
としか言いようがありません。

まずはお疲れ様でした。
被災地の厳しさは想像することしかできませんが
去年の姿と対比された現状の写真を前に
おそらくその想像をはるかに超える
虚無がそこにあるのだろうと・・・
胸が詰まりました。
ただ、一つだけ安堵したのは
瓦礫さえなくなってしまった景色の中にあって
雑草の色が確かに緑であることでした。
日の丸の力強さも、鉢花の美しさも
当たり前だと考えている世界の内では
こんなに心に突き刺さるものだったろうか・・・
よく考えてみたいと思います。

懐古istさん、こんばんは

5ヶ月以上経っているので、
今の印象は震災直後とは雰囲気が違ってるとは
思いますが・・。
雑草は強いもので、瓦礫や、泥を撤去したところに
ずいぶん生えていました。
でも撤去されずに放置されている船や車や瓦礫を
見ると、まだまだこれからなんだと感じざるを
えません。
一歩づつです。
私たちも見続けて、自分たちの出来ることを
考えつづけなければならないと思います。

夜行バスでの移動、お疲れさまでした。

私は実際行ってないので何も言うことが出来ませんが、去年の様子との比較で何もかもが一瞬になくなってしまったことをあらためて感じました。

その中でも一歩ずつ前に向って進んでいることもわかりました。

自然の脅威とどう共存していくか、いろいろな立場であらためて考え続けたいと思います。

ぞうさん、こんにちは

正直、バスは少々疲れました。

訪れた新地町は、
もう記憶の場所とは全く違った所でした。
これは日本の国全体で考えていかないと
復興は無理だと感じました。
自分自身も考えていかないと・・。

ありがとうございました

遠い所おいで頂きありがとうございました。
瓦礫が残っている間は、毎日通っていたおっとっと。更地になったらお客様を案内する以外には行きたがりません。息子もしかり。
自分が生まれ育った場所に対する強い愛着を思います。
転勤族で、土地や家にそれほど執着しない私でさえ、更地は悲しいです。
今度はゆっくりとおいで下さいね。

女将さん、こんばんは

ありがとうございました。
更地になってしまうと、かつての面影が
消えてしまいますもんね。
でも、瓦礫が残っている時は、毎日通っていたん
ですね。
本来は自分の帰る場所だったんですもんね・・・
そう、それがやっぱり更地は悲しいし寂しい。

次回はニュー朝日館にぜひ宿泊させて
いただきたいと思っています。

震災の爪痕が生々しいですね。
打ち上げられた船、何もなくなった交差点
改めてその恐ろしさがよみがえってきます。
そして、自衛隊の方達がたてた日の丸がはためく様子に胸を打たれました。

igu-kunさん、こんばんは

震災から5ヶ月たっているんですが、
復興はまだまだという印象です。
船やバスがこんな所にという場所に放置されたまま
だったりします。
瓦礫が撤去されているとはいえ、
ひどい状況は変わっていない。

自衛隊の方々の寄せ書きの旗は
人と人の強い絆を感じさせるものでした。

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